1991-10-01 第121回国会 参議院 建設委員会 第2号
明治時代に改修したときに既に十五万立方尺・毎秒、現在のディメンションで換算いたしますと約四千百七十トンと、当時でもかなり大きな治水計画であったわけでございますが、この洪水を迎える時点では四千五百トンでございました。
明治時代に改修したときに既に十五万立方尺・毎秒、現在のディメンションで換算いたしますと約四千百七十トンと、当時でもかなり大きな治水計画であったわけでございますが、この洪水を迎える時点では四千五百トンでございました。
明治初めの直轄改修の当初から長良川等の改修に入ったわけでございますが、当時、改修計画は当時の流量で毎秒十五万立方尺、四千百七十トンという計画でございました。昭和十年に見直しましたが、ほぼ同様の四千四百四十五トン。
ちなみに、長良川は明治二十年に改修に着手いたしましたが、そのとき改修規模は十五万立方尺、四千百七十トン、その後昭和十一年改定されましたが、四千四百四十五トンと。
船便を利用する場合には、現在おとな一人当たり一千キログラム、つまり四十立方尺までの携行荷物が無料となっておりますが、飛行機を利用する場合には、これが有料となって、料金が非常にかかってくるという点であります。
○国宗説明員 多摩川の計画高水量につきましては、特に水害が過去において甚大でございましたところの明治四十三年の洪水を対象といたしまして、浅川の合流点より下流で毎秒四千百七十立方メートル、一万五千立方尺と定めまして、この計画に基づきまして、下流、二子玉川上流測点二十キロ以下の下流は大正七年から着手し、昭和八年に完了し、ただいま維持区域となっております。
そこで、また切る大きさでありますが、これは建設省の建築研究所と打ち合せまして、一個一立方尺程度のものということでございます。そういたしますと、これをハンマーで削るわけにいかんので、のこぎりみたいなものでうまく切り取らなければいかん。
立木だけで七千万石でございますが、一応七億立方尺ということであります。これにつきましては、要するに、倒れましたものをできるだけ早く製品化いたしまして、これを売り払う。さらにあと地の防虫対策を講じながら、造林の完了をはかっていきたい。こういうようなことが一連の措置として考えたわけでございます。
それからただいま受けておりまする報告によりますと、七月十六日以降の放流については、県より指示を与えまして水門の操作をやらしたわけでありますが、県は四千個——一秒間に四千立方尺の水を流すのを四千個といっておりますが、四千個以上の放流に際しては、事前に下流町村長に協議を行なっておる、こういう報告でございます。
それで、上の方だったら、メチルブロマイド千立方尺に対して一ポンドの割とすると、ほとんど死にません。それから一番下の方の俵となりますと、ほとんどこれは死んでおります。そういう状態です。それで大体一メートル行くごとに死ぬ率が三分の一くらいになっております。それですからせいぜい三メートル以上になりますと、もうほとんど死なない、こういう状態であります。
あまつさえ一時は地盤沈下のために水路側壁倒壊し、毎分百五十立方尺の奔流となり、全く飲料水に枯渇し、地元民に対し非常なる不安を引き起したる事例があり、憂慮に堪えざるところであります。特に火災等の不慮の災害を考うるとき、実に思い半ばに過ぎるものがあるのであります。
それは目方、大きさ等を含めてのことでありますが、今まで百立方尺の地位を満たしておつたものが、ただ四立方尺のところに納まろ、こういうような仕事を初めから請願いたしておりまして、材料もございませんので、細々やつておりましたが、それでもその数字がここに出ておりますように、マイクロ・フイルムの作成は相当の分量になつております。
四八一——本件につきましては、二十二年九月、農番開発営団の閉鎖に伴いまして、大規模国営開墾事業として国に引継がれたものでございますが、当初計画といたしましては、開田三千町歩、開畑五百町歩、こういう計画をもちまして、この開田に要します水利を、毎秒二百立方尺を通水する断面の計画で工事をやつておつたわけでありますが、二十四年四月、計画を再検討、縮小いたしまして、開田二千町歩、開畑千町歩ということに計画を変更
今申しましたところの河川の利用が大体極点に達しておるというようなことは、流域一方里当りの渇水量が十箇といたしまして、そうして一町歩用水量が〇・一町秒立方尺、こういうように考えて、そうして河川を水源といたしまする水田が大体六五%から七、八%の水田がある。こういうように考えて行つたのでありまして、そういたしますと、殆んど現在の田圃で以て水は利用し盡されておる。
現に今信濃川全流工事から分割して寺泊の方に放流しておりますが、これも小さい谷川を利用してやるのですが、菅から信濃川の水量を少しでも低減しようという考えの下に、今からいうと、私の推量ですが、一万立方尺の水を海へ落す。そうして本川の水量を多少なりとも軽減しようという計画の下に、これは相当の大事業であつたのですが、随分全力を盡してやつた。又工費も費やして相当の努力をされた話もあるのであります。
水道の講釈ではありませんが、アメリカあたり一日に十立方尺以上、十四、五も使つておる。日本でも一日六だとか、五だとかいうのでやつたのが多いのでありますから、東京のもそういう計画でできたのであります。だんだん一人当りの水の使用量というのが殖えて来ておる。而も人口が殖えるから小河内ができても足りない。
それからまきにつきましては層積石——これはたな積みあるいは結束いたしまする関係があつて層積という字を用いますが、要するに十立方尺の容積に当るものを單位といたしまして層積石と申します。それからガスまきはやはりトンでこれを表わしております。單位をつけないで恐縮であります。
実際問題といたしまして、一升以上の主食の取締りもいたしておるといたしますと、いわゆる一立方尺以上の荷物に対しましては、警察官の第六感で一應は被疑が成り立つ場合が相当多いと思うのでありますが、民主化とも関連いたして、警察官の捜査の労苦も並大抵ではないと非常に心配いたすのでありますが、実際問題としてそれでは今後この主食の取締に当つて、新らしい一つの法律を作らなければならんと思うのでありますが、これに対しまして
元來この茨城縣の久慈川は、その流域が九十四里餘に達しておりまして、茨城縣に臨む分はおおむね平坦なる肥沃の耕地でありまして、平水量が七百立方尺に對しまして、一旦洪水になると十二萬九千八百立方尺となつて、實に二百倍に近い状態であります。